職人の伝統工芸、鬼瓦

弊社では鬼瓦を設計そして製造している、静岡県唯一の会社です。


我が国で最も古い鬼瓦は、奈良県奥山久米寺のもので、蓮華文の様式から、飛鳥時代後期のものと推測される。 鎌倉時代になると、獣面や鬼面が多くなったらしいが平面的であった。

室町時代には、二本の角を持つ鬼面が多くなり、足元または、鰭(ひれ)という部分が出来たらしい。 桃山時代から鬼面がリアルに足元は次第に発達してきた。

江戸時代になると、雲や植物や浪を図案化したものが現れ、現在見るような鬼瓦の原型ができた。 また、全国の寺院や町屋で見るようになったのは室町時代以降のことである。


鬼師 大橋景月

現在弊社では、先代師匠である大橋先生の作風を継承し、自然の造形美を追求した、現代の鬼瓦を中心に制作を続けております。


経歴
明治36年 3月23日静岡県安倍郡有度村渋川に生れる。
大正4年 カネキ瓦 渡辺金左工門本店(細工部)渡辺万太郎氏の弟子と成る。九年間。
大正12年 鬼板師となる。師のもとで鬼瓦の製造に専念
大正13年 東京芝増上寺五重の塔仕用の鬼面鬼瓦の復元をする。(戦災消失)
昭和7年 工学博士中村真先生の指導のもとで修善寺新井旅館天平風呂の古代鬼面の製作に入る
昭和8年 中村先生 急逝。
後任 安田 靫彦(やすだ ゆきひこ)の指導により天平風呂鬼瓦、其の他軒巴等の製作に入る。
昭和9年 神奈川県大磯町の安田先生別宅に参上.古代鬼面の添削を願い直接作品の教導を賃ける。
其の問二年余.
新井旅館本館、修善寺大客殿、開山堂.宝物殿、観音堂、仙台の。ハークホテルの近代鬼瓦等数多製作.古代・近代の鬼面獣面鬼の彫刻の技法に研究意欲が湧く。
昭和11年 カネキ第二工場転勤 渡辺忠一氏、渡辺孝氏の指導で社寺用鬼瓦の製作に入る。其の問二年余月。
昭和13年 カネキ瓦本店 細工部に帰る。鬼瓦の製作に専念。
昭和41年 カネキ瓦第三工場に転勤 清水市江尻台町渡辺武雄氏と共に古代.近代鬼面の製作を本格的にはじめる。
なお菊池安治氏(現・菊池建設)の近代数寄屋の屋根に数多くの鬼面獣面文様の鬼瓦の構図及び製作をする。
現在の丸西 瓦渡辺商店、鬼瓦工房
昭和45年 菊池安治氏に認められ一般住宅用の古代鬼面の製作を始める。
昭和42年 この頃より仏像の彫刻もはじめる。
昭和49年 千葉中山日蓮宗大本山 正中山法華経寺大荒行堂 読経堂、水行堂又 東京雲善寺の古代鬼面と.数多く社寺用鬼瓦を製作する。
昭和53年 菊池安治氏巣京進出と同時に近代数寄屋の鬼瓦の製作をする.千葉我孫子市菅谷邸、日野市の日野邸、武蔵村山の峯岸邸と数多くの古代.近代鬼面獣面の製作をする。
昭和62年 勲七等青色桐葉章受賞

鬼師 原川圭介

鬼瓦100年以上は、自分で作ったものは、自分の寿命より世の人々にふれる事になる。 「そこが怖いところでもあり、たまらない魅力でもあります。

出来が悪いものでも残ってしまうんですよね、まさに仕事に対して責任感をかんじるなって思うんです」70歳や80歳の先輩方がまだまだ現役で職人として活躍されている世界。しかし若からこそできる鬼瓦を彼は日々生み出している。

鬼瓦は繊細かつ力強いもの、表情の一つであっても手は抜けない。 一番難しいのは、最後に魂をこめて鬼瓦の目を入れる事です。弊社では自社設計し、製造しております。 自社で設計する事により何処にもない、数千年と残る建物の一部になる事です。

現在の鬼瓦は既製品(大量生産)のものが大変多く感じます。 今から100年前の文化財などで作られた鬼瓦は既製品の鬼があったでしょか。おそらく職人の魂がこもった手づくりです。 いま現在使われている既製品鬼瓦は250年先文化財になるとは思えません、なぜならば、古いものだけが文化財などになるのではなく、古くて良い物が国宝や文化財に認定されると思っております。

現在弊社では日本文化の継承をして行くとを使命だと考え、若手の確保、また、ものつくり大学さんなどとインターンシップ協力させて頂き、これからの日本の伝統技術背負う大学生などを研修生として受け入れております。



鬼瓦を焼く

 
鬼瓦を焼く


時間をかけて乾燥させます。この乾燥がかなり大事です。乾燥を完璧にに行わないと亀裂が入り使い物になりません。
窯積、慎重に釜の中に配列し積み入れます。釜積が雑だと焼いている途中で崩れてしまう事もあります。



1200度の温度で焼きます。約24時間かかります。

鬼瓦の種類