静岡市で駿府城坤(ひつじさる)櫓の建設が始まりました。静岡市より清水建設さんが受注しております。先日静岡市の見学会がございましたので参加させて頂きました。写真はその時、撮らせて頂きました。初めに受付をし、入場し担当の公園整備課の方の説明を受けました。
現在建て方工事終了し、屋根の下地工事中です。素屋根が掛けられ外からでは内部が見ることができません。静岡市より資料をいただきましたので以下にまとめました。
坤(ひつじさる)櫓の坤とは、城の中心からみて南西の方角にあるためそのように呼ばれています。江戸時代には、方位に干支を用いて、北を「子」として時計周りに割り当てていました。
その為、南西の場合ヒツジとサルの間であるため、坤(ひつじさる)と呼ばれています。
櫓は、矢倉(蔵)とも書かれ、武器庫から由来しているという説もあります6本来の目的は、戦の際の物見としての役割として最も重要な施設でありました。そのため、城の四隅や御門周辺に設けられ、その窓は、城の外側に非常に多く、内側には極端に少ない構造となっています。
現存する最も大きな櫓は、熊本城宇土櫓(九間×八間)。参考にした名古屋城未申櫓(七間×六間)、高知城天守は八間×六間、宇和島城天守は六間四方と天守と比べても大きな櫓であったと考えられています。
建築物の規模:縦横高さ七間(約14m)建築面積:253.56楠、延床面積:391.08㎡
●復元するための資料
家康公が築いた駿府城は、幾度となく火災や地震などの災害により建替えが行われました、本工事で復元する坤櫓は、寛永12年(1635)の火災において記録の中で延焼を逃れた建物として坤櫓が含まれていないため、火災により消失したと考えられています。現存する最も古く確かな資料は「駿府御城惣指図」(寛永9年~永宝4年、個人蔵)と考えられています。それ以外の資料
では、「駿府御城内外覚書(個人蔵)」(右絵、上段原文、下段現代役)があり、その中に、-、 坤御櫓 七間四方、高さ七間とあり、他に、各階の平面図とそれに重ね合わせた屋根伏せ図(朱書)が描かれています。これらの資料を基に、不足している情報は、同じ徳川家の城である名古屋城の西南隅櫓など現存する
建築物を参考にしています。
●今後のスケジュール
今後は、床板などの内部の木工事を始め、屋根瓦の製作、漆喰壁に必要な小舞組、土壁の塗付けを数回行い、白漆喰工事を予定しています。
櫓周辺の公園工事を含め平成26年3月の完成を予定しています。(静岡市駿府城公園坤櫓建築工事パンフレットより)
建築文化研究所の八木先生のご説明を受けました。城郭は社寺建築とちがい、桔木(はねぎ)を軒に入れておりません、なぜかとお尋ねしたところ、城郭建築では、すぐに建設できる速攻性が求められる為、社寺建築のような反りを入れた軒をたくさん出す必要が無い城郭建築では、桔木を入れ無い構造になっているとのことでした。
軒先の垂木に漆喰を施す為、先行して野地下に小舞をいれておりました。その後、野垂木を入れ野地をせこうするそうです。
社寺建築と違い野地が直線で反りはありません。落ち込みも少なく、袖丸などは入らないかもしれません。
八木先生が隅棟にかかる荷重についてお話されておりました。
軒が反る事にによって裏甲が前にでてきてます。
屋根工事までもうすぐです!!
出土した軒唐草と軒巴、一般的に使う軒より少し小さく感じました。
静岡市で建設中の動画が公開されております。ごらんください。